東急東横線は昔から個人的によくお世話になっているが、特に「みなとみらい線開通後〜副都心線直通開始前」(2004-2013)の時期によく利用しており、現在でもたまに利用する機会がある。
そんな東横線を走る中で一番好きな車両は、横浜高速鉄道Y500系である。(なぜ好きなのかについての解説は、後日改めて記事にしようと思う。)
本記事では、Y500系や東横線の歴史の一部に触れていきながら、いろんな時期のY500系の写真を紹介する。
2004年1月30日をもって東急東横線横浜-桜木町間が廃止となり、代わりに翌々日の2月1日から東横線は横浜高速鉄道に乗り入れることになった。この時、横浜高速鉄道の車両としてY500系6編成がデビューした。東急5050系の運転開始よりも前のことであり、当時東横線を走っていた8000系や8590系、9000系と比べて配色やデザインも大きく違うため、「新車」としてのインパクトは強かったのではないだろうか。
基本的にY500系は他の東急の車両と共通運用となっているが、開業直後の時期はある程度固定化されていた部分もあり、結果的に特に日中は特急・急行として目にすることが多かった。
地上にあった元住吉駅が高架化され、通過線を高速で通過していく車両が見られるようになった。
元住吉駅での待避も元から存在はしていたが、翌2007年には目黒線延伸工事の影響で、日吉駅で行われていた多くの緩急接続・通過待避(主に日比谷線直通列車を特急・通勤特急が追い越すパターン)が元住吉駅での通過待避に転換された。
高架化前は、元住吉検車区に入庫する列車として上下線共に元住吉行きが多く見られたが、高架化して配線が変わった後は、その多くが下り武蔵小杉止まりとなった。
2007年頃の東横線の車両運用は、日中は25運用中5本が常に特急として走り続けるというものであった。2日連続で特急運用に就き続けるケースも多かった。
Y500系の特急が走らない日もある一方、5運用中2〜3運用がY500系という日もあった。
Y500系は度々ヘッドマーク付きで運転されることがあり、最近だとラッピングが施される場合もある。
2周年以降、毎年2月頃には上記写真のように周年ヘッドマーク付き運転がされていた。(今年も15周年HM付き列車が走った。)
ここ数年だと、みなとみらい線沿線の行事等に合わせて、ベイスターズラッピングやピカチュウラッピングの車両が毎年のように運転されている。
Y500系の遭遇率は、副都心線直通前だと東横線全体の編成数(時期によるが概ね36本以上)のうち6本ということで約1/6、並び合う2本が共にY500系である確率は単純計算で約1/36であった。決して珍しくはないし調べれば狙える程度のものであるとはいえ、偶然見かけたらラッキーぐらいの程良い確率なのではないかと個人的には思う。もちろん副都心線直通開始後は、Y500系同士が並んだりすれ違う頻度は減っていることになる。
なお、写真手前のY516Fは、2014年2月の衝突事故により廃車となってしまう。後述のY517Fが増備されるまでの約4年間、Y500系は最大5編成での稼働となっていた。
東横線の東京メトロ副都心線直通開始に伴い、東急5050系と共にY500系も副都心線、またその先の西武池袋線や東武東上線にも乗り入れるようになり、東横線内であってもいろんな行先表示が見られるようになった。
「8CARS」のステッカーも示す通り、Y500系は全て8両編成で据え置きとなったため、原則として東横線内で特急・通勤特急として走ることは無くなった。その一方、西武線内で快速急行などの速達列車として走る運用も生まれた。
東急5050系を改造して転属となったY517F。これまでのY500系と大きく違う点の一つとして、行先表示がフルカラーLEDとなっている。また概ねこの時期、既存のY511F〜Y515Fも種別方向幕部分がフルカラーLED化された。
東急東横線・東京メトロ副都心線系統自体が比較的話題に事欠かない路線であるが、個人的には特にY500系の去就も併せて気にしていきたいところである。