本日2021年10月1日、全車2階建て・E4系Maxの定期運行が終了となる。
この機会に過去のE4系乗車や撮影写真を振り返ってみると、そのMaxを利用した行程が全体的に懐かしい日があった。
本記事では、2014年末に富山からはくたか号・越後湯沢乗り換えでMaxとき号に乗車して東京方面へ帰宅した時の行程を簡単に振り返ってみたい。
そもそも2014年末がどんな時期かというと、翌春に北陸新幹線の金沢延伸を控えた時期である。そんな時期の富山訪問であった。富山駅自体も、まだ地上駅であった。
この記事では省略するが、前日も新潟-新井間を走っていた快速・くびき野号、新潟-金沢間を走っていた特急・北陸号を利用して富山に到達している。
富山駅から乗車したのは、金沢始発の特急はくたか号である。北越急行経由で越後湯沢まで行き、越後湯沢から上越新幹線で東京方面まで、というのが、当時の北陸(特に金沢以東)⇔東京間の鉄道移動で最もポピュラーな移動経路であった。
この時の車両は、北越急行所有の「スノーラビットエクスプレス」、赤い車両のはくたか号であった。6両+3両で構成されていたが、9両すべてが赤い北越急行車の列車であり、確か北越急行のHPで公開されていた事前の運用表を見て乗車した記憶がある。
北越急行線内は最高時速160kmで駆け抜け、富山からはおよそ2時間ほどで終点の越後湯沢駅に到着した。季節は既に年末ということもあり、特に新潟県内は積雪が見られた。
はくたか号から東京方面への上越新幹線は短時間(8分程度)ですぐに接続していることが多かったが、この日は年末で臨時列車等も多く走ることもあり、あえて行程に余裕を持たせて1本後の便を選んだ。
越後湯沢駅で昼食をとった後、乗車したのは「Maxとき364号」東京行きである。号数的に明らかに臨時列車である。
このとき乗車したのは8両編成であったが、Maxとき号は最大16両編成で運転されていた(※2012年以降 )。E4系は、多客期に越後湯沢ではくたか号乗り換えを行う乗客を大量に輸送するための列車としても機能していた面があると言える。
E4系の塗装はちょうどこの頃から朱鷺色への移行が始まっていたが、このとき乗車したのはまだ黄色塗装のE4系であった。
残席の都合もあってか2階のグリーン車を利用したのだが、どうやら車両最前の1列シートの座席であった。
車椅子対応ということなのかシートベルトが付いていたり、また最前席ということで移動式のフットレストがあった。
越後湯沢駅から1時間20分ほどで東京駅に到着。
上越新幹線は東京⇔新潟間でも2時間前後のため、部分利用だとなおのこと短い乗車となる。E4系が2012年まで運転されていた東北新幹線方面でも2005年12月以降は仙台以南での運転であり、E4系新幹線に2時間を大きく超えて乗車する機会はあまり存在しなかった、というのが2階建て車両好きとしてはなかなか寂しいものであったかもしれない。
特急はくたか+E4系新幹線という移動経路も当時は当たり前であったが、北陸新幹線に置き換わりそこから6年7年ほどでE4系も引退ということで、改めて時の流れの早さを感じるものである。
さて、ここからは余談気味になるが、東京駅で新幹線を降りた後に撮影した写真にも懐かしいものが何枚もあったので簡単に紹介する。
まずは185系の、緑色ストライプでない塗装の車両2種類。
185系もちょうど今年3月に特急踊り子号としての営業運転を終了したばかりであり、ここ7年間ほどの首都圏を発着する鉄道車両の置き換わりがいかに大きいものであるかを実感せざるを得ない。
さらに品川駅で京急線の線路に目を移すと、現在残り1編成となった都営浅草線5300形であったり、2019年に引退した片開き扉車の京急800形であったりが走行していた。いずれも京急線内を走る定番の車両であり、数年後にはどちらも引退しているとはこの時はまだ考えていなかったように思う。
また、この日が「始まり」であったのが、「サンライズ出雲91号」という列車である。
寝台特急サンライズ号の予備編成は過去に広島行き・下関始発の「サンライズゆめ」号として運転されていたこともあったが、この2014年年末からは「サンライズ出雲」の増発として、2014/12/28出雲市始発のサンライズ出雲92号を皮切りに多客期に2〜3往復ずつ設定されるようになった。7両編成単独運転、横浜-大阪間ノンストップなどの特徴がある。
なおこの時は、現在のサンライズ出雲91号の運転時刻よりも20分ほど後ろ倒しで首都圏を出発していた。
奇しくも、同じ全車2階建てベースであるE4系新幹線は1997年デビューで本年引退となった。サンライズ号の285系は1998年デビューだが、こちらも果たしていつまで走り続けることだろうか。