「ダルマ電車」の愛称で長年ファンや沿線民に愛されてきた京急800形が、今年2019年6月までに全編成引退となった。
本記事では、ここ10年ほどで撮影した京急800形の写真と共に、800形の活躍の一部を振り返ってみたい。
4両・8両編成の車種が比較的多い京急において、800形は(最終的に)6両固定編成であった。旧「急行」が走っていた時代は急行列車としてのイメージも大きかったが、99年快特10分毎ダイヤ以降は普通列車としての運用が基本となった。特に99年ダイヤ下の京急川崎-金沢文庫間は、普通列車日中毎時12本という高密度のダイヤだったため、途中駅で上下線800形同士が並ぶ姿も珍しくはなかった。
京急の車両は基本的に3ドアで、2100形など2ドアの車両もあるが、800形は京急では珍しく4ドアとなっていた。また2011年まで走っていた京急旧1000形などと共に、首都圏の通勤型車両ではかなり珍しくなった片開きのドアであった。
定期列車として6両編成の快特が設定されており、800形としては珍しい快特が割とよく見られていたシーンがある。
エアポート急行運転開始(2010年)前の平日夕方に存在していた例だが、横浜方面から普通列車羽田空港行きとして運転した後、折り返し羽田空港からは一旦快特京急川崎行きとして運転し、京急川崎からは横浜方面への普通列車(新逗子行き)に変更して運転されていた。
現エアポート急行のように横浜方面と羽田空港を直通する列車は、2010年以前でも快特増結の4両や普通列車としてなら多かったが、その中でも珍しい形態の運用に800形が充当されていたことになる。
過去には3両編成で空港線運用に就いていたこともある800形であったが、2010年10月21日開業の羽田空港国際線ターミナル駅に(3ドア用)ホームドアが設置されるのを機に、4ドアであった800形が空港線方面への乗り入れを終了した。以前は3両編成で京急蒲田⇔羽田空港間を往復していたこともある800形であったが、このような流れで空港線運用からは先に離れることになった。
先述のように、800形自体の引退が予定より早まったのも、横浜駅など主要駅に順次ホームドアを設置するためという側面はある。
エアポート急行毎時6本化以降、10分サイクルの中に各種別が1本ずつ入り待避パターンがある程度固定化された影響もあり、上りダイヤでは京急鶴見でエアポート急行が普通列車に接続することも非常に多くなった。エアポート急行は6両編成で運転されることもあるが、先述の理由により800形がエアポート急行として走ることはまず無かった。
最後の3年間ほどは、823編成が窓周りが白いリバイバル塗装に変更となった。この編成が800形で一番最後まで残った編成となる。
筆者も運良く乗車・撮影することができたが、偶然にもこの写真を撮影・乗車したちょうど1年後、823編成は「ありがとう800形」として運転し、京急から800形の運用が退いた。
この他、筆者が直接見ることは叶わなかったが、終電付近の特急金沢文庫行きとして800形が走っていた時代もあった。
京急800形はいろんな意味で京急を象徴する車両の一つであった。800形の想い出に浸るとともに、新時代の京急も追いかけていきたい。